2011年 04月 15日
仙台出張を終えて・・ |
仙台から戻ってきました。
仕事の関係で1泊2日というかなり短い期間で訪でしたが、被災地は想像を絶する光景が広がっていました。
私が訪れた地域は「仙台東部有料道路」を境として、海側の地域は津波の被害が広範囲に広がっていました。
1ヶ月経って道は通れる様になったものの、マンホール部分だけが盛り上がり、段差だらけの道路。
(恐らく地盤が陥没しているんでしょう)
くしゃくしゃになった車がそこら中に転がり、以前何があったかも分からない荒野が広がっていました。
阪神大震災の被災地(に当時通っていた学校がありました)も行った経験があるのですが、ある通りを境にして情景が一変しているのは同じですが、今回の震災は「そこに何があったかもわからない」光景が広範囲に続いています。
その中で1ヶ月経っても自衛隊や警察の方が棒を持って(この棒が何を意味しているかはお分かりになると思います)、荒野を歩かれています。
被災した車でガラスがキレイに割られてたり、ドアがこじ開けられた車が結構ありました。。
コレが何を意味しているか・・
そこには「人が乗っていたのです」・・
私が会った地元の方々は
「まず悲惨な状況を見て欲しい。そして皆に伝えて欲しい」
と口を揃えて仰ってました。
「大きな余震がいつ又来るか分からないまま、大げさな言い方かも知れないが、毎日命をかけて生活している。我々はたまたま生き残っただけである。」
そんな方々がもっと被害が甚大だった地域へ救援物資を持って行ったり、街を復興しようと日夜頑張っておられます。
自分の生活もままならない部分もあるでしょう..
応援も全国から来ています。
警察(「福岡県警」「広島県警」のパトカーを見かけました。)、自衛隊、消防を始め、全国各地から復興する為の建築、土木、設備メンテナンスの方々の車が集結していました。
主要道路は復興されてますが、脇にはまだまだ「当時の光景」が残っています。
テレビから伝わらない事・・
まだ震災は続いています。
物理的にも被災者の方々の心の中にも・・
どうか、皆さん時が経っても忘れないで欲しいです。
これは被災された方からのメッセージです。
仕事の関係で1泊2日というかなり短い期間で訪でしたが、被災地は想像を絶する光景が広がっていました。
私が訪れた地域は「仙台東部有料道路」を境として、海側の地域は津波の被害が広範囲に広がっていました。
1ヶ月経って道は通れる様になったものの、マンホール部分だけが盛り上がり、段差だらけの道路。
(恐らく地盤が陥没しているんでしょう)
くしゃくしゃになった車がそこら中に転がり、以前何があったかも分からない荒野が広がっていました。
阪神大震災の被災地(に当時通っていた学校がありました)も行った経験があるのですが、ある通りを境にして情景が一変しているのは同じですが、今回の震災は「そこに何があったかもわからない」光景が広範囲に続いています。
その中で1ヶ月経っても自衛隊や警察の方が棒を持って(この棒が何を意味しているかはお分かりになると思います)、荒野を歩かれています。
被災した車でガラスがキレイに割られてたり、ドアがこじ開けられた車が結構ありました。。
コレが何を意味しているか・・
そこには「人が乗っていたのです」・・
私が会った地元の方々は
「まず悲惨な状況を見て欲しい。そして皆に伝えて欲しい」
と口を揃えて仰ってました。
「大きな余震がいつ又来るか分からないまま、大げさな言い方かも知れないが、毎日命をかけて生活している。我々はたまたま生き残っただけである。」
そんな方々がもっと被害が甚大だった地域へ救援物資を持って行ったり、街を復興しようと日夜頑張っておられます。
自分の生活もままならない部分もあるでしょう..
応援も全国から来ています。
警察(「福岡県警」「広島県警」のパトカーを見かけました。)、自衛隊、消防を始め、全国各地から復興する為の建築、土木、設備メンテナンスの方々の車が集結していました。
主要道路は復興されてますが、脇にはまだまだ「当時の光景」が残っています。
テレビから伝わらない事・・
まだ震災は続いています。
物理的にも被災者の方々の心の中にも・・
どうか、皆さん時が経っても忘れないで欲しいです。
これは被災された方からのメッセージです。
by funa9934
| 2011-04-15 23:46
| 思った事など